父が亡くなったのは9年前、79歳の誕生日のその夜。

この日は、亡き夫の最後の転職に因る引越しで早朝からバタバタしていました。

転居先に荷物を運び入れ、やっと落ち着き、遅い晩ご飯の支度をしようとしていた矢先(10時頃)の次女からの電話です。

「祖父ちゃん・・・お風呂で息してなくて・・・お姉と二人で引き揚げたけど、息してなくて・・・救急車で病院行ったけどダメだって・・・」

泣きながら、必死に話してくれました。

本来なら、摂るものも取り敢えず、真っ先に発たなければならなかったのですが、夫の仕事で次の日午前中までに片付けなければならないことがあり、それを終わらせての出発でした。

次の日、真冬の東北道を走らせ実家に着いたのは、夜の8時頃。
(にゃんズを連れての移動のため車使用)

既に家には誰もいなく葬祭会館へ行くと、妹夫婦とむすめ達が弔問客の相手をしていました。
(妹夫婦は、朝一の新幹線で駆けつけてくれたようでした)

その中の一人、本家の従兄からキツイ言葉を頂戴しました。

「なんでこの時間になったんだ!〇〇(わたしのこと)は跡取りだろ?!何を置いても一番に駆け付けるのが筋だろ?!」

御もっともな言葉です。言い訳をしても分かってもらえるとも思いませんでしたので、只々平謝りでした。

そして、事情を説明していたとは言え、哀しみの中親戚一同の矢面に立たせてしまったむすめ達と、父には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

棺の中の父は微笑んでいるように観えました。 
そっと、頬に手を添えると、まだ生きているかのようなやわらかな温もりさえも感じました。
哀しみが込みあげ、涙が溢れ止まりませんでした。

その日父は、いつものように雪かきを済ませ、午後には、楽しみにしていた地区の演芸会を母と連れ立って観てきたそうです。

夜、誕生日のお祝いに、むすめ達と近所にある和食レストランで楽しいひと時を過ごし帰宅。そしていつものように入浴。

当時の父は軽度認知症を発症していたので、母は時々声掛けをしていたそうです。

その日も入浴後1度声掛けをし、何事もないことを確認したらしいのですが、その後中々出てこない父を心配に思い慌ててドアを開けると、高温になった浴槽の中に仰向けで沈んでいたそうです。

忌中の立て札を観た近所の方々は、朝の元気な雪かきをしている姿と演芸会での陽気にはしゃいでいた様子を観ているので、「亡くなったことが信じられない」と口々に仰っていました。

わたしの実家地区での葬儀は、出棺、火葬、告別式なのですが、朝から泣くまいと必死で涙をこらえていました。それは、長女として跡取りとしての意地と礼儀の様なものでした。

喪主である母は、ただただオロオロしているだけで何の役にもたたず、あまっさえ、火葬の最中に控室で弔問客用にと用意しておいたおにぎりを、平然と食していたのです。
悲しくてもお腹が空くのですね・・・そして、普通に食べられるのですね・・・。
母に、この時のことを話しても憶えていないと言います。
都合の悪ことは忘れるのでしょうか。

今後のために、葬儀の代表としての挨拶をしたのは、夫でした。
その夫も約2ヶ月後に、癌により他界しました。

葬儀後の会食。
ここでも母は席から一切立たず、お膳のものを黙々と食べるのみ。
本家・親戚筋へのお酌とお礼回りをしたのも、わたしと妹そしてむすめ達です。
お開きの際も、お見送りもせずお客様状態。
娘として、情けなかったですね・・・。

父の死因は、『急性心不全』となっています。
父は、わたしを始め家族の誰一人にも看取られることなく旅立ちました。

父が亡くなったときの状況に於いて、一度たりとも母を責めたことはありませんし、むすめ達たちとて、元気で普通に一日を過ごしていた父が急死するとは思ってもいなかったでしょうから。

せめてもの救いは、浴槽の中での父が寝ているような穏やかな顔をしていたと、
『その日一日を楽しく過ごせた』安らかな旅立ちであったのだろう、そう、思えることです。


母とわたしの日々のバトルを、あの世とやらで父はどの様に思っているのでしょう。

お読み頂き、ありがとうございました。

次回にて