にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん16歳、青(せい)くん13歳」「あたし。お洒落大好きアラ還暦」「母。85歳、方言と訛り×軽度認知症」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

8月1日、今日はボクの誕生日です(ボクはねこです)

お暑うございますね。

ハッピーバースデー 青くん♬

13年前の秋、我が家の一員となった『青くん』
                 (せい)
迷い猫で、生まれた日は分かりませんでしたので、桐ちゃんかかりつけ医の先生から乳歯の状態で誕生日を8月1日と決めました。

当時の写真です。


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今では桐ちゃんの倍近くの大きさですが、写真を見ると

「あぁ~・・・小さかったなぁ~」

まじまじと思いますね。



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13歳。人間年齢で換算すると『68歳』

7~8歳の頃まではお腹が緩く、毎回軟便で整腸剤が手放せませんでしたが、いつの間にか薬に頼ることもなくなりました。
体重は少し多めのぽっちゃりさんですが、大きな病気になることもなく元気に過ごしています。

普段のおやつは、犬猫用 減塩“花かつお”ですが、
今夜は「ちゅーるちゅーる」のおやつを考えています。
(桐ちゃん用のお刺身は青くんはたまにしか食べません。好みがあるようです)

大切な家族の一員です。


「老い」を受け入れることの難しさ

日曜日の朝は、いつもより遅い朝を迎える。

8時30分頃だろうか。母美代さんの携帯が鳴り響く。何事かと思い慌てて起きて出ると、母の二番目の妹からのいつもの電話。

朝早くから(早くもない?)何事かと思い電話が終わった後で訊いてみたら、朝仕事が終わり何とはなしに掛けてきたとのこと。
それはそれで良かったけど、少しお騒がせの叔母だ。

午後、暇を持て余した美代さん、今度は自ら電話。
母と丁度一回り違う叔母との会話。

自室で掛けていたのだが暑くてドアを開けっぱなしなので、全てではないが話し声が居間に聞こえてくる。

「なんちゃらみだいなとごろさ入るには、
 1000万円もかがるらしい
(たぶん、介護施設のこと)
 おめはまだ73だべ、オレど一回り違うんだがらまだわげべ(若い)
 オレだってよ、膝がいだぐねば曲げれれば、
 も少し動げればこんなどごで娘の世話になんかなってね
 オレはまだ85だ。よその奴らど同じぐらいピンピンして稼げる」



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母は、
身体の自由が利かなくなったことがあたしとの同居の理由と思っているようだ。

まぁ、間違ってはいないが、
本来の理由は認知症により薬や食事の管理ができなくなったことによるものだ。

昨年の9月初め。風邪で高熱。自らタクシーを呼ぶことができず、あたしにどうしたらいいのかと電話。

何を話しても要領が得ないので、ここから地元のタクシーを手配。
点滴を受けて帰ってきたらしいのだが、どうやって帰ってきたかも憶えていないと言っている。

処方された薬の飲み方も理解できず、電話をしてくる。
(母の携帯は『らくらくホン』で、9年前父がが亡くなってから畑作業をひとりでするようになり、何かあっては大変と76歳の時から持たせている)

孫が(あたしの次女)が用意しておいた、お椀の中身が即席みそ汁の具であることも、それがみそ汁であることも作ることもできずに電話。(フリーズドライの具)

次女からの電話。
「祖母ちゃん、ヤバイよ。おかぁ、何とかして」

まだまだ大丈夫だと思っていたのだが、思いの外症状が進んでいたのかもしれない。
母を引き取ることに葛藤したが、たった一人の親だ。そんなことも言っていられない。
ここで一緒にくらそうと電話。

「いがったぁ(良かった)おめがら一緒に暮らそうど言われるの待ってだ」

そして現在に至っている。

若い時分からがむしゃらに人一倍働き、何でもやってきた自負というものがあるのだろう。
弟妹に、のんびり暮らしていると思われるのが心苦しいと言う。

人は必ず老いる。
その時は、できないことを受け入れる心の余裕を持っていたいものだ。

   
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幸せの形は、人それぞれ。人生の選択。


母と今後について話し合ってみた。

認知症の初期。
耳が遠いという訳ではないが、一度で理解できない。

春頃からあたしは口調を替えた。
なるべくゆっくり大きな声で話すようになった。
病院に行くと、周りに振り向かれることもあるが、仕方がない。
「分かった?」と訊くと「分がった」の返事が返ってくる。

会話を続けると、母お得意の頓珍漢な受け答え。認知症に因るものなのか、理解力が乏しいせいなのかイマイチ判らない。

毎日ぼ~っとしていること、居眠りしていること、何も苦にならないと言う。
この暑さで日に何度もベランダの野菜たちへ水かけ詣で。
それが、一番の楽しみらしい。

あまりにも自由過ぎるので、症状が進み、あたしの手に負えなくなったときは介護施設に入所してもらうことを伝えた。
「いいべぇ、おめのいいようにしてくれ」

本当にそれでいいのか確認してみた。
「今だっておめに面倒かげでる。そうしてくれ」

これは状況を理解していると判断することとする。

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お盆に帰省後、暫く実家で過ごしたいと言っている。
血圧、薬、食事、お風呂。日中は一人での生活。大丈夫なのか。

やってみると言っているが、それができなくてあたしとの暮らしになった訳で・・・。

近所に住む同世代の年寄りもひとりふたりと亡くなり、話し相手も居なくなってきているが、それでも長年住み続けた実家の方が、母にとっては居心地が良いのだろうことは百も承知。はてさて如何したものか。


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父が亡くなってからの9年(あたしも夫を亡くして9年だけど)母は何を思って生きてきたのだろうか。
たぶん・・・あたしとは違う寂しさを抱えてきたのだろうし、父という話し相手がいなくなったことで、認知症も加速されたのは間違いないだろうと思う。

岩手にいる頃には、週2回のデイサービスを受けており、その日の朝は早起きをし時間前から迎えの車をいそいそと待っていたが、ここで暮らすよようになってからは、デイに行きたいという言葉が全く出なくなった。

母は、岩手の農村部の出身。
幼い頃から、一家の働き手を担ってきた。
小学校も卒業していない。

母の人生に於いて目新しい言葉は必要なく、田舎言葉で十分に通じていた。
だが、ここで暮らすようになり言葉の壁にぶち当たっている。
『方言、お国訛り、イントネーション』の違いにより、あたしには通じても、他人様にはなかなか通じない。
それがネックとなり、デイに行くことを渋っている。

ここも関東の田舎だ。田んぼも畑もある。
認定調査の際、認定員の方がおっしゃっていた。
「震災で移り住んでいる人たちもいます。その中には岩手や福島の方々もいるから、気にせずとも大丈夫ですよ」

あたしもそう思うのだが、こればかりは母の気持ち次第だからあまり強くも言えない。
いづれ、サービスを受けることにはなるだろうが、それはまだもう少し先。

これからも本能で生きていくのだろう・・・

          それが母の幸せなのだから。



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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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