にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん16歳、青(せい)くん13歳」「あたし。お洒落大好きアラ還暦」「母。86歳、方言と訛り×軽度認知症」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

運転免許証の自主返納・・・いつかは自分も

高齢者の事故が後を絶たないですね。

子どもの頃、我が家には車がありませんでした。
遠出の際は、列車を利用していました。

よその家には車があり、なぜうちには車がないの?
幼心に思っていました。

そう、父は免許を持っていなかったのです。


役場職員として、用務の仕事をしていた父でしたが、小学校への転属で徒歩通勤ができなくなり40歳後半で初めて免許に挑戦し、原付の免許を取得したのです。

それまでは徒歩や自転車でしたが、原付取得で行動範囲も広くなり、任せてもらえる仕事の内容も変わっていったようでした。

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定年後は、田んぼや畑に行く際は原付をフル活用していました。
我が家の畑は、自宅から3~4キロ、田んぼに至っては7~8キロ近くあったので、原付様さまだったようです(母は、自転車でしたが)

75~6歳のときだったと思います。
田んぼの帰り道、後ろから来た車との衝突事故に遭いました。
手の指の脱臼と、脳挫傷。
幸い、命に別状はないとの診断でしたが、娘からの連絡の際は、心臓が止まるのではないかと思うほど驚きました。

この時の脳の検査で、小さな梗塞がいくつかあるようだとの指摘を受けたのですが、それまでの父には脳梗塞の症状などは一切見られず、元気そのものでした。

細い農道走行で、車の往来もなく父は真ん中辺りを走っていたらしいのです。後ろから車が気たことを察した父は左に避けようとしたらしいのですが、その車は、何を思ったのか父の左側を追い越そうとしたようで、ドン・ガシャン!となってしまったらしいのです。

このとき、父は確かに左に寄ったと言っていましたが、相手側の運転手は父が右側に寄ったと言い、仕方なく左を追い越すことになったのだ言っていたそうです。(警察からの話)

当事者同士の意見の食い違いがあったものの、安全確認をせず、無理な追い越しをしようとした車が全面的に悪いということになりました。

退院後、父を交えて家族会議を開き、父の免許証の返納についてを話し合いました。
最初は渋っていた父でしたが、孫むすめ達からの強い勧めで返納に納得してくれたのです。

免許証は、近くの交番に持って行きました。
そのまま返すのかと思っていましたが、ビス止めのような工具?で免許証に穴を開けられ、持ち帰りできたのです。
そして、原付は近くのサイクルショップに引き取ってもらいました。

それ以後、父は電動アシスト自転車に乗るようになり、変わらず畑・田んぼ通いをしていましたが、あの事故のときには、もしかしたらですが、認知症になりかけていたのではないか・・・後になってからそう思うようになり、その後の検査で軽度認知症を発症していることが判明しました。

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        田んぼ道のイメージです

都会と違い地方では、車は足代わりの必需品。
免許の返納は、一大決心が要ります。
でも、命には代えがたいとも思うのです。

今回起きている事故は都会でのことのようですが、車・人が多ければ事故の被害も大きくなると思われます。

自分も、いつの日か返納を考える年齢になることは間違いないのですが、
それまでは細心の注意を払っての運転を心掛けます。

ただ、貰い事故と言うものもあります。
どんなに安全運転・安全確認をしていても、自分ではどうしようもないときもあります。

くれぐれも安全確認・スピードは控えめ安全運転をお願いしたいものです。



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弱い自分が強く生きるために・・・自分を失わないこと

ときどき思うことがある。
53歳で、あの世とやらへ旅立った夫が言っていた定年後の生活について。

元気だった頃の彼は、定年後は実家に戻り畑に寝泊まりできる小屋を建て、柵を設け犬や猫を沢山飼い野菜作りをしながら暮らすのが夢だと言っていた。

60歳で定年を迎えたとして、あたしは55歳。
ギャンブル(パチンコ)好きの彼が落ち着いてくれるのであれば、そんな生活でもいっか・・・なんて思っていた。
彼が亡くなり10年の歳月が過ぎ、あたしは今年59歳になる。

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あたしは虫が苦手。
肥沃の土を作り出すミミズに至っては大が二乗・三乗付くほど大嫌い。
何が嫌いかって、目がない口がない(ないよね?口はあるのか?)前・後ろが判らない。そしてあの微妙な動き!
そんなあたしに野菜作りができるの?

結論。
できません。
でも、夫が生きていタラ、一緒に頑張れたのかしら?
彼は、何でもそつなくこなす人だった。
ただ、長続きしないタイプで、飽きやすかった。そんな彼でも、にゃんズに対する愛情は深く、特に桐に対してはそれこそ猫可愛がり状態。

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犬や大好きな猫に囲まれた暮らしなら、畑仕事・野菜作りにも精を出していたのかしら。
夫が亡くなっていなけレバ、あたしは実家に戻り好々爺ならぬ、好々婆にでもなり、娘や孫との暮らしを、夫と共に楽しんでいたのかしら。

人生て、運命て、人が決めるものではないと思う。
自分の人生なのだから、自分で打破できるように努力は必要だと思う。
でも・・・どうしてもダメなときは、何かを参考にしたり、
誰かを頼ってもいいんじゃない?!

あたしはここ古河での暮らし・美代さんとの暮らしを選択したけど、
この先のことは判らない。

あたしの性格。
負けず嫌いなのに、変な弱さがあり、とことん落ち込む。
でも、そんな時でもしっかりと自分と向き合うこと。
それだけは忘れてはならない。

そう、思うのです。


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全ての事が少しづつ記憶から消えていく

晩ご飯のおかずに、サバの西京焼きを出した。

骨ごと口に入れ、
口の中で、身と骨を分け舌で押し出す食べ方の母美代さん。
「ねぇ、皿の上で身から骨を外すのよ」と、やって見せた。

「おめは、てんどいいな」(器用)

「そうよ、昔から器用なのよ」

「そだな」

口の中で骨を分けてもいいが、取り切れなくて喉に引っ掛けたら大変なことになる。

ここは集合住宅。
救急車を呼ぶことは憚られる。
それでなくても、1月の転倒で一度出動頂いているのだから、
「またですか・・・」と、なることは極力避けたい。

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話は飛ぶ。
美代さん、出されたサバを観て、名前が出なかった。
その前に、
「これは、さがなだよな?」(魚)

サバだと伝えると、
「サバは好ぎだったども・・・」(好きだったけど)

昔むかし、料理嫌いな美代さんは、生サバを買ってきてブツ切りにし、味噌とショウガで甘辛く煮つけにしてくれたことがあった。

「皮をみればわがるども、焦げでるがらわがらねがった」

お魚は皮で判断しているらしい。
そう、今夜のサバは少し焦がしてしまい、皮での判断は難しかったよう。

これまでも魚については、パッと見の判断はできなくなっていた。
というか、野菜にしても名前が出づらくなってきている。
頭には浮かぶらしいが、言葉にならないことが多い。
あたしが、~~と言うと「そだ、それのごどだ」と解っている風の返事が返ってくる。たまに、ホントに解っているんかい?ツッコミを入れたくなることも・・・ある。

ケアマネさんからのアドバイスである、「聞き流す」を少しづつ実践し、ツッコミはグッと我慢して「あ、そう」で終わらせるようにしている。

認知症は忘れていく病気。(消えていく?)
いつだったか、妹の名前が出ず「おめの妹よ」と言われたことがあった。

入浴の際の手順が毎回???となっている。
自分の意思で洗ってほしいと思っていたけれど、今日の入浴で今後は「次はこれ、その次はこれ」といちいち言ってほしいと言われた。
以前に「命令されでるみだいた(みたいだ)
と言われたことがあり、正直辛く・悔しい気持ちにもなったけれど、
それが認知症なのだから「仕方がないで」済ますしかないかもしれない。

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明日はデイケア日。
そうそう、日中、
「あした水曜日だよな?デイさ行ぐ日だっけが?」

毎週、月・水・土曜日はデイケア日。
朝、ちゃんと起きられますように。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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