にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん16歳、青(せい)くん13歳」「あたし。お洒落大好きアラ還暦」「母。85歳、方言と訛り×軽度認知症」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

亡き父を想うⅡ ~新し物好き&興味津々~

物心ついた時、父は町立病院の用務員(地方公務員)
病院の一室、四畳半に家族4人の暮らし。
その当時は「小使い」と言われ病院の職員から、
バカにされていたそうです(そういう時代だったのだろう)

その後は、小学校の用務員となり3~4校の転勤。

子供たちから「用務員さん、おはとうございます」とか、
「お手伝いしましょうか」などと言ってもらえたことが、嬉しかったと言っていました。

あたしが10代後半の頃だったと思います。
我が家にオーブンがやってきました。
当時、電子レンジさえもない我が家に『オーブン』
新し物好きな父が、何を思ったのか突然の購入。

料理嫌いな母の一言。

「こったなもの買って、何つぐるのや?電気代勿体ね!」

「いいべや、〇〇(あたしや妹)だぢだって欲しがってだべ」

・・・欲しがっていたかは・・・記憶にございませんが・・・

でもまぁ、あればあったで便利なもので、けっこうな頻度で使いました。

当時の記憶として一番使用していたのはあたしで、ほぼお菓子。
クッキー、パウンドケーキ、アップルパイetc.。
酒もタバコもやらない父は、甘いものが大好きでとても喜んで食べてくれました。

料理で使ったのは、今では全く作らなくなった手作りグラタン(笑)
マカロニグラタン・ポテトグラタン。

結婚してからも、むすめ達には度々クッキーは作っていました。
母娘で型抜きして、楽しかったですねぇ。

でも、母には不評、
「電気代が勿体ない、買ったほうが安い」

確かにそうなんです。
でも、『母娘で一緒に作る』がいいんじゃないですか。
分かってはもれえませんでしたが・・・。


そう言えば、この頃に食器のシリーズ物も購入していました。

大皿、スープ皿、スパゲティ皿(当時、パスタという言葉は知りませんでした)
グラタン皿、フルーツ皿、キャセロール、ケーキ皿、コーヒーセット。
今も実家で使ってるので、もうかれこれ40年物です。(物持ちいい!)

これら以外にも、和食器を中心にかなりの量の食器を取り揃えていましたが、今は段ボールの中、物置でひっそり。

そうそう、ベッドです。
両親はシングルのツインで娘のあたしたちは二段ベッド。
(小学校後半時)

中三の時、家の増改築であたしと3歳下の妹の各自の部屋ができました。
その時に、両親のベッドがお下がりで与えられ、親はダブルベッドに格上げです。
・・・よく寝られたものね、あたしは一人寝のほうが楽・・・

でも、ベッドは楽ですね。布団の上下しが要らないのですから。
これも、父の母への気遣いだったのかな、と思います・・・。

父は高等小学校しか出ていません。
    ↓
【学力や経済的理由などで中学へ行けなかった人 
年齢的には今の中学1・2年生】
それこそ母と同じように、貧乏人の子沢山の末っ子として生まれ、
教育を受けさせてもらえたのは長男・次男までということを聞いています。

そんな父がとても大切にしていたのは一冊の国語辞典。
事あるごとに引いていました。
 
あたしが物心がついたころから使っていましたので、亡くなる頃にはボロボロになっていました。

スポーツが大好きな人で、TVでの野球やバレーボール観戦などは、ひいきのチームを声をハリ上げて応援していました。

スキー、スケート、水泳、バドミントンなどは、そつなくこなす人でした。
あたしのバレーボール好きは専ら父の影響です。

因みに、母の好きなスポーツ観戦は『ボクシング』
何故か?・・・たぶん、点数の移動がなく勝敗が分かりやすい。



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(父65歳、母62歳、家族旅行 ホテルにて)


生きていたら88歳。

亡くなる数年前に認知症を発症していましたので、仮に生きていたとしても、かなりの進行状態にあり、もしかしたらあたしは両親の介護に追われる毎日になっていたかも・・・。あぁ、考えたくない。

誕生日を有意義に過ごし、母の手を煩わせることもなく、微笑みを浮かべて永遠の旅へ。

新し物好きで何にでも興味を示し、実行に移す人でした。

お読み頂き、ありがとうございました


「生」食パン、初めて知りました

あたしは旧い人間のようで

帰省の度に新しい?ことを知る

テーブルの上に袋に入った食パンの塊があったので、食べてもいいか訊く
「ねぇ、この食パン食べてもいい?」

長女、TVを観ながら
「ああそれね。生食パンなんだけど美味しいから食べてみて!」

ちぎって一口
「えっ、なんでこんなに軟らかいの?すっごく美味しいね」

「そう、このパンね焼いても軟らかいのよ。
           あたしはまんまのほうが好きだけどね」


一斤の半分ほどをペロリ
「ごめん。なくなっちゃうね・・・」

「いいよ、また買ってくるから。お土産用にも買おうか」

「そだね。それにしても美味しいね」


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お恥ずかしい話、「生」食パンの存在を初めて知りました

一斤、432円

少し・・・いや、あたしにとってはかなり高いのだけど、
高級と謳っているのだから多分、相場なのでしょう

軟らかさの秘訣はちみつ使用であることと、卵を使っていないので、
卵アレルギーのある方でも美味しく召し上がっていただけそうです

ジャムやバター派の方には、是非何もつけずにそのままの味を
ご賞味いただきたいですね。

昨夜は、レトルトの牛タンシチューにつけていただきました

チェーン店とのことなので、近辺にあるか探してみましょ

美代さんではないが、生きてるから食べられる訳で、

新し物好きだったあたしの父の血を置け継いでいるむすめ達のアンテナに

あたしも負けてはいられないので、この街の美味しい物を探し

遊びに来てくれた際には、是非食べに行きたいと思っています


作家、下重暁子さんの考え方と生き方。同感するも現状は難しい。

昨日朝のワイドショーのコーナーで、作家『下重暁子』さんの人生についてのコーナーがあった。

『家族という病』を、読んだ方もいらっしゃるだろう。
あたしも、母とのことでとても悩み、本を購入し一気に読み終えた覚えがある。

そこで、母、あたし、そして娘の、世代間の考え方のギャップについて記してみた。

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 1.下重暁子氏の生きてきた時代背景との違い

 
 2.家族の在り方とは

 
 3.子が親の面倒を見るのは当然のこと

 
 4.娘のストレートな言葉



1.】

下重暁子氏とあたしとでは、生きてきた時代背景、家族構成など大きな違いはある。年代的には母親世代だ。

下重氏は夫を「つれあい」と呼び、お互いを干渉しない夫婦関係に在るそうだ。

以前、何かのTV番組で夫婦の正しい呼び方についてを観たことがある。
その中で、「主人、家内、旦那様、奥様」などの呼び方は主従関係に在る者が使う言葉とあった。
そしてお互いを正しく呼ぶ言葉としては「妻、夫」がふさわしいとあった。

氏は本の中で母親を、厳格な父親の顔色を窺うだけの泣きながらの生活を続け、父亡き後も自立できずに、娘である氏に頼りきりの人生を送ったことを厳しく批判し、親や子に頼らない人生を選択してきたとある。

氏が子供を作らなかったのも、自立できなかった母親を観てのことだったようだ。

2.】
家族の在り方とは、型にはまらなければならないものなのか。
平成の現代(いま)、「主夫、イクメン」などの男女に限らない役割分担もある。
家事全般を得意とする夫が家庭を守り、育児が好きな夫が子供の世話をする。

亡き父は定職に就きながらも、家事が得意で特に料理好きで、朝晩の食事支度から弁当作りまでそつなくこなしていた。それは、現代の主夫にも通じているのかも知れない。

母の口から時々「親父はとても怖い人だった。言うことを聞かないと火箸が飛んできた」という話が出るが、明治生まれの父親とは少し旧いが「亭主関白」「家長第一」が当たり前だったのだろう。

その明治生まれの恐怖でしかない絶対的存在の父親の元、身体が弱いにも関わらず次から次へと子を生し48歳の若さで他界した母親の傍で、「夫となる人は優しさを一番」とするを決め、思い通りの何でもできる優しい父親と出会えた。

しかしその優しい父でさえ、怒ったときの怖さは昭和の頑固おやじそのもので、あたし自身は襟元を引きずられ外に放り出されたり、柱に紐でくくられるということもあった。
当時の親の考えとして「悪さをしたら体罰=身体で覚える」が当然の時代で子に対する愛情の一環であったのだろうが、今の時代ではそれは「虐待」に相当するのだと思う。

氏と母とでは育った環境はあまりにも違うが、背景にあるのは「自立できない母親」を観て育ったことだと思う。

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3.】
子が親の面倒を見るのは当たり前という、恐怖でしかない明治生まれの父親の考えが母の根底にあり、それをするのが跡取り娘である、あたしの役目と思い込んでいる。

あたしは跡取り長女。本来ならば、実家で母や娘たちと暮らすのが筋なのだろうが、18年前に夫、次女の3人で茨城での生活を選択し、現在に至っている。(長女は就職を控え実家を選択。次女は、専門学校卒業後実家に戻る)

「じっちゃんは何でも出来る人だった。オレは助けられできた」
母は父を頼り、父亡き後はあたしを頼る。

叔母たちとの電話では、「〇〇は(あたし)良ぐしてくれでる。何でもやってもらってる。〇〇がいねばオレは何にも出来ね。有難いど思ってる」
などと話しているが、聞いている叔母たちはどの様に思っているのだろう。

叔母たちも「いいんだ。娘どいるのが幸せなんだ」と言う声が電話の向こうから聞こえてくる。本心なのか社交辞令なのか、仮に社交辞令だとしても、悲しいかな母には通じない。

母と暮らし始めて一年になる。
この一年で、母の症状はミリ単位ではあるが確実に進んでいることがわかる。

4.】
長女のストレートな言葉
「あたしは、おかぁの面倒はみないよ!自分で何とかしてよね」

認知症の祖母を観ての言葉であろう。
度々言われているので・・・あぁ、又言われた・・・と思いつつ、
ここまでストレートに言葉にできる娘を羨ましくさえ思う。

母に対して厳しい言葉を発するも、結局は見放すことができないでいる自分を、遠くでもう一人の自分が蔑むように観ている。

願わくば、母のように認知症にならずに健康長寿でいたいものだ。
そして、ある日突然ピンピンコロリと逝くことを希んでいる。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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