にゃんズの母(しがらみと生きる)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん18歳。琴ちゃん・常くん3歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、90歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

紫が好きという母。死んときに着る服は・・・?

女優・市毛良枝さんの葬儀のCMで「母は紫が好きだった」と言う、フレーズがある。

あたしは母美代さんが、何色が好きなのかを、全く知らない。
丁度CMが流れていたので、訊いてみた。

「ねぇ、あなたは何色が好きなの?」

「オレが?オレは紫が好きだ」

60年、娘をしてきたけれど、初めて紫が好きということを知った。
でも、美代さんの服や持ち物に、紫の物は・・・ない。
いつから好きだったのだろう。
ならば、その紫の何かを死装束にワンポイントにしてみようかと訊いてみたが、判らないという返事。
何が判らないのか・・・死装束という言葉が判らないと言われた。
こういうところが面倒くさいと、思ってしまう。

両親は確か、60代の頃に出羽三山詣でをしている。
その時の装束が、お遍路スタイルだった。
11年前、父が亡くなった時には、そのお遍路装束で旅立たせたと、母から聞いていた。
そして、自分が亡くなったら、そのときは父と同じ姿で旅立たせてほしい・・・そんなことも言っていた。

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あたしは父の納棺に立ち会うことはできなかった。
父と会えたのは、既に棺の中に綺麗におさまった状態であった。
でも、美代さんは言う。

「オメが着せでくれだんでねのが?」

お遍路スタイルのことは勿論、出羽三山詣でのことも憶えていない。
そして、父に何を着せていたかも、全く憶えていないと言われた。
これ以上は何を言っても無理。
ならば、棺に入るときに何を着たいのかと訊いてみたが、

「オレはふぐのごどは何も知らね。持ってるふぐ着せでけろ」

美代さんらしい返事だ。
お洒落には全く興味がなく、服は着られれば良いという考え方の持ち主。
訊いたあたしが間違っていた・・・と、言うしかない。

お遍路着、実家のどこかには仕舞ってあるはず。
お盆帰省時に、探してみよう。
そして、亡くなったときには、好きと言っている紫色の何かを添えよう。


この内容は「鬼娘の介護日記」の「死装束」を参考にさせて頂きました。


ご飯大好きな母が、ご飯を食べない・・・そして

パターン化した美代さんの睡眠。
昨日も、デイサから帰宅後唯々眠いと言いベッドへ入ったのが午後5時過ぎ。
8時頃に一度目を覚まし、「ユカ・サキは居るのか?まだ仕事から帰ってきていないのか?」と、言われた。
時計を見て「もうこんな時間だ、遅いな・・・」とも。
ここにはユカ・サキは住んではいない。
たぶん、実家に居るとの思い込みなのだろう。

「まだ帰っていないよ。それにそんなに遅い時間でもないから大丈夫だよ」

「そが、おそぐねのが・・・」

ご飯を食べるかと訊いたが、とにかく眠いから又寝ると言いそのまま就寝。
入歯洗浄も、夜間用尿とりパッドも付けていないが、また起きるだろうと思いそのままにした。

寝食忘れて仕事に取り組むとは、聞いたことがある。
人は、食べることと寝ること、究極、どちらを選択するのだろう。

飲まず食わずで1週間生きていた・・・という話は過去に聞いたことがあるが、1週間寝ずにいたら思考回路はたぶん狂ってしまうのだろうな。
でも、海外のどこぞの国かは忘れたが、もう何十年も寝ていないという老人がいたが、それと一般的な睡眠とは話が違うのだろう・・・たぶん。

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今朝9時頃に、普通に「おはよう」と言い起きてきた美代さん。
お腹が空いたとも言わずに台所の椅子へ腰かけ、あたしが片付け忘れていた広報を手に取り、しげしげと観ていた。
そして、何を思ったかメガネを取り出し中を開き読み始めていた。
書かれている内容など解るはずがないが、まぁ取り上げることでもないので放っておいた。

少し前までなら、朝起きたら何が何でもご飯を食べていた。
何はなくてもご飯。
ご飯を食べているときが、最高の幸せと言っていた美代さんだ。
その美代さんが、「ご飯」という言葉を口にせず、冷凍庫からアイスを取り出し食べ始めた。

いくら何でもアイスでは満たされないだろうと思い、卵焼きを作った。
一人2個として、4個を使いカニカマと刻みネギを入れ厚焼き卵にした。
美代さんの前へ「どうぞ」と差し出すと、

「この、黄色いのは何だ?・・・卵か?」

厚焼き卵はあたしの得意料理だ。
むすめ達のお弁当のおかずに、ほぼ毎日作っていた。
美代さんにも作ってあげたことがあるが、気に入らないと食べてもらえなかったことが多い。
厚焼き卵は、美代さんの中では卵焼きではなかったのだ。

美代さんが作る卵焼きは、フライパンに卵を流し入れ薄く延ばし、ひっくり返して出来上がり。
お皿に入れる際には、半分の半分になり形的には三角形。

厚焼き卵だと教え、食べてくれるか様子を観ていたが、なにを思ったか美代さんは、持っていたアイスの棒を使い食べようとしていた。
お箸を使うように言うと、解ってはいたが棒でも食べられるのではないかと、思ったと。
この考えは、クリアな人の考えなのか認知症の考えなのか・・・
時々あたしは解らなくなる。

卵焼きを完食し、更に棒アイスとチョココーンアイスを食べた。
都合3個、食べたことになる。
口の周りはチョコだらけ。
3個食べた記憶はなく、最後に食べたチョココーンアイスの記憶だけが残っていた。
ご飯を食べずとも、カロリー的には満たされているのかな・・・。

ご飯(米)が何よりのご馳走。
ご飯以外の物では、お腹はいっぱいにならない。
こう言い続けてきた美代さんが、ご飯を口にしない。
いや、「ご飯」という言葉さえも出ない。

これも、認知機能の低下故のことなのだろうか。
さて、夕飯までに「ご飯が食べたい」と、言ってくるのか。
今もまた、広報を観ている。

好きにさせておこう。


にゃんズの母の息子、15歳になる

わが家のにゃんズ「桐と青」

青くんは、今日8月1日が誕生日です。
15歳になりました。

DSC_0697

    デ~ン!横綱?(笑)昨日の写真

わが家の家族になったのは、15年前の11月頃だったような。
当時勤めていた工場のお向かいで、半野良状態でご飯をもらっていた。
ある日。
あたしが帰ろうとすると、どこからともなくやってきて、足にスリスリし始めなかなか離れようとしない。
車の往来が激しい道端ではなかったが、それでも万が一ひかれて死んでしまったら・・・そう思うと置いて帰る訳にもいかず段ボールに入れて帰宅。

鼻がぐしゅぐしゅして、毛並みも汚れていたので、かかりつけ動物病院へ。
猫カリシウイルスに感染していたので、薬を処方してもらい、暫くは桐ちゃんとデンくんには会わせないようにして、その夜からわが家の一員となった。(桐ちゃんの前から飼っていた先住猫)
(誕生日を8月1日にしたのは、乳歯の具合からです)

DSC_0704

     今日の午前中 zzzz お休み中

この15年間。
大きな病気をすることもなく、健康なおデブちゃんねことして暮らしてきた。
千客万来の桐ちゃんとは違い、身体の割には臆病で、来るものは拒み、去る者は追わず。
それでも、野良時代の名残なのか猫本来のハンター気質なのか、以前住んでいた一軒家では、ゴキちゃんや、トカちゃんを捕まえることもありで、あたしはその度に「ギャーギャー」わめいていた。(苦笑)

何年か前に、長生きできるのは環境が良いからなのだと、かかりつけ医から言われたことがある。
あたしはその言葉を、勝手にお褒めの言葉と取っていたが、まんんざらでもないように想う。
年に一度の3種混合ワクチン接種。(外には出さないので、3種でOK)
2ヶ月毎の健康チェック・レボリューション&爪切り。

起きている時間よりも寝ている時間の方が多い。
寝息やいびきの音が高く、大丈夫かと心配することもあるが、本ニャン的には何ともないようで、熟睡。

自己表現が下手で、カマッテ~と地味~に甘てくる。
忙しい時は空気を読み?「そっか・・・じゃ、我慢するよ」みたいにスーッと離れて行く。
その姿を観ると、余計に撫でてあげなければと思ってしまうのは、彼の計算に因るものか?(まさかね)

青くん。
誕生日おめでとう。
まだまだ、長生きしてね。

これからも、
母と、ず~っと一緒だよ。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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