にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳。黒ちゃん4歳。常くん3歳。連くん1歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

2年越しの返却?忘れ去られていた作業着…

2025.2.10(月)

実家に戻った22年に、3ヶ月間だけパートをした。
内容は郵便局の清掃で、勤務は週に2回。午前9時半から11時半までの2時間。
ポロシャツ・ズボン・ジャンパーの3点が作業着として配られた。

3ヶ月でやめた理由は腰痛。
あの当時は全く立てない母美代さんの在宅介護もありで、腰への負担が重なっていた。


やめた後、作業着はすぐにクリーニングに出し、いつでも返却できる準備をしておいた。が、いつになっても連絡が来ない。
まぁ、急ぐ必要もないのかな…なんて思っていたけれど、それにしても1ヶ月以上も経ったよな…いいのかな?

で、わたしから連絡。
電話の相手は総務部の女性で「後ほど担当者から連絡させますので」と、淡々とした口調で言われた。
担当者とは、わたしを面接した人物。「そっか、あの人から連絡がくるのね」

しかし、待てど暮らせど連絡が来ない。
わたしはちゃんと筋を通している。何も悪いことはしていない。こうなったらどこまでもまってみよう…そんな気持ちでいた(苦笑)。


午前中スマホに着信。画面には清掃会社の担当者の名前が。
あれから2年以上が経過している。

・・・やっと来た~、やれやれだよ・・・

そんな想いで出てみると、内容は作業着のことではなく仕事の依頼。

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今のわたしは歩くのもやっと。
ヘルニアで通院していることを告げ、丁寧に断った。そして問題は作業着。
向うから言われるのかと思ったが全く話が出ない。これはわたしから切り出すしかないよね。

最終的には家まで取りにきてくれることになり、住所を教えた。
手渡しした際に、再度言われたこと。

「体調が戻った際にはまたお願いしたいので、その時はぜひ考えてみてください」


いや~。
わたしの坐骨神経痛治るのかな?
わたし自身は手術も視野に入れているけれど、医師からは手術をしても再発すると言われているし、この先は仕事に就くことはないんじゃないかな…。

「すみませんが再発を繰り返していますので…」

繰り返してはいないけれど、物は言いよう(苦笑)。
これで断ったと思ってくれるはず。

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それにしてもよ、仕事の依頼がなければ作業着のことは忘れ去られていたってことよね。
なんか、管理がズサンじゃない?もしかしたら、中には返却しない人もいるかもしれないのに。
でも、今回のようにいつかまた仕事の依頼あると見込んでいたのかしらね。


スッキリした~。
これで貸し借りはなし。

清掃業って、単純作業と思われているかもしれないけれど、経験してみると3Kに当てはまるように思う。長続きは、難しのかな…。


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母を好きではなかったけど、最後は楽しい思い出を作りたい

2025.2.9(日)

最近、昔のことを思い出す。

おおよそ、女親らしくなかった美代さんのことが好きではなかった。
亡き夫の仕事の都合で引っ越しが決まったときは、やっと美代さんから離れられると心底喜んだ。

このブログを開設したときから美代さんの介護についてを記してきたけれど、その内容のほとんどは美代さんの悪口だったかもしれない。

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豆苗って、偉いね。第2段がそろそろ食べ時。


介護って、経験者にしかわからない葛藤のようなものがある。
特に認知症は十人十色で、一律ではない。
その人に合った介護が必要で、それは介護をする側にとっては生半可なことではなく、心身ともに辟易しボロボロになることもある。


美代さんの介護が始まったのは、美代さんが84歳のとき。
現在は91歳(4月に92歳)で、一昨年の7月から特養に入居。

在宅介護から手が離れたことで、美代さんへの想いが少しずつ変化してきている。

あれも嫌だった。これも嫌だった。何にもしてもらってこなかった。
ずっとそういう想いでいたのが、最近になって「そういえば悪いことばかりではなかったな…色んなことをしてもらったよな…」そんな気持ちが芽生えてきている。

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面会時、美代さんはわたしのことをわかると言ってくれるが、それはほんの一時的で、記憶はすぐに飛んでしまう。

美代さんの命の炎は、あとどのくらい残っているのか…。それを思うとできるだけ多く思い出話をしたい。たとえ美代さんの記憶が残っていなくてもわたしは覚えている。


人生は一度だけだから過ぎてしまったことは戻らないけれど、それでも今できることはある。

楽しかったことよりも辛く悲しい出来事のほうが強く残るというけれど、最後はできるだけ楽しい思い出を残したい。


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救急車の手配…希望する病院へ搬送されないこともある

2025.2.8(土)

昨夜、これまでに経験したことのない激痛に襲われた。

腰椎椎間板ヘルニアと診断されたのは、一昨年の5月。
昨年の夏には痛みの度合いもかなり落ち着き、薬の服用は日に2回で済んでいた。

それが、寒くなり雪道でもあることからウォーキングができなくたった辺りからかな、朝起きた時の痛みが尋常ではなく、歩行もやっとの状態に。

今回の受診ではヘルニアの再発と診断されたけれど、昨年の秋辺りには既に再発していたのかもしれない。

昨夜は薬を飲んでも一向に痛みが引かず、救急車を呼びたいと思ったほどだった。小一時間した辺りにやっと薬の効果が表れ、なんとか身体を動かせる状態にまで戻った。

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救急車で思うこと。
昔、31歳のときだった。
朝、顔を洗っていると、いきなり腰の辺りに激痛が。
悲鳴をあげるほどの痛さで、その場に崩れ落ちてしまった。

何事かと驚いたのは母美代さん。
尋常ではない娘の姿に、母はうろたえながらも救急車を手配してくれた。

救急隊員は希望する病院名を聞いてくる。
母が選んだのは地元の病院ではなく、盛岡市の県立中央病院。
痛みであえいでいたけれど、高速道に載ったのはわかった。

普通に走ったら20分くらいで着く距離。
救急車なら信号で止まる事もないだろうからもっと早く着くのかもしれないが、わたしにはその時間がとてつもなく長く感じた。

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診断の結果は、腎盂腎炎。
高熱が出、夏だというのに寒くて電気毛布を使用された。
身体から菌が出るまで、一昼夜の点滴が三晩くらい続いたのかな・・・。

救急隊員は、患者の状況や状態を聞いてくる。
わたしが運ばれたとき、母の年齢は58歳。
今でこそ要介護5で施設住まいだけれど、あの当時は本当に頼りになりありがたかった。


救急車は母美代さんも3回利用している。
古河市在住でのときは希望したのは近くの病院だったけれど、その病院の状況下もあったのだろうね、受け入れ拒否をされた。

それから、救急車が間に合わないということで消防車が先に到着し、消防隊員へ事情説明をするということもあった。

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こういうこともあるので、第二・第三希望を考えておく必要もあるのかも。

健康であることが一番だけれど、もしもの時の利用は慌てずに落ち着いて。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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