にゃんズの母(しがらみと生きる)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん18歳。琴ちゃん・常くん3歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、90歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

特養から在宅介護に戻した、ある方の話

2022.4.25(月)

母美代さんを特別養護老人ホームに入所させて、今日で一年が経ちました。

初めの頃の面会ではわたしに対して笑顔が無く、たぶんですが「入所させられた」感が強く在ったのでしょう。
それが2ヶ月・3ヶ月と過ぎるうちに徐々に笑顔を観ることができ、慣れてきたのかなと思えるようになっていました。

在宅介護していた時は、ブログの内容はほぼ愚痴で、毎日まいにち、美代さんの悪口ばかりだった記憶です。

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わたしは、経済的な理由から実家に戻ると決めました。
その為には、施設に居る母をどうしたらよいかと、認知症の家族の会のIさんにお会いして相談に乗ってもらいました。

Iさんは、現在要介護5の妻様をお一人で在宅介護なさっていますが、以前は3年半の間、特養にお世話になっていたそうです。
妻様の介護をするようになって15年。在宅に戻して7年くらいと。
在宅に戻した理由は個人情報なので書けませんが、戻してからの時間を、介護を有意義に工夫するように心掛けたのだそうです。

聴いていて「はぁ?有意義に!?」でしたが、介護の見方を変えたことで自分が苦しむということが少なくなったとおっしゃっていました。

妻様ができなくなることをまんま受け止め、失敗した際は自分のやり方が悪かったのだと考え、できるための工夫をするようにしていたそうです。
そして、工夫したことが成功した時は自分を褒めるようにしていたと。

例えばですが、オムツ交換をする際は寝かせたままでは大変ではないですか?の質問に対して、予めテープを軽くくっつけて置き、座らせた状態でリハビリパンツの様に穿かせるのだそうです。

トイレの際は、粗相をすることが続くことも有ったそうで、オシッコだけではなく、ウンチが手に付くこともありで、トイレットペーパーを何枚も用意していたそうですが、いちいち巻くことに時間をかけることを省くために、簡単に使えるガサチリに変えたそうです。

介護職の方は仕事では笑顔になれるが、いざ家族の介護となるとそうはいかないと言います。
その言葉を受けたIさんは、それならば自分が介護のプロという気持ちでやってみようと気持を切り替えたそうで、そうすることで気持ちが楽になったと。

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今の時点では、特養を退去させ在宅に戻すことを八割方決めています。
岩手に戻ることで経済状況が改善されますが、それにより介護度が上がる頃にはもう一度特養にお世話になることも考えています。
そして、古河での在宅介護の経験を、なるべく改善するように努力したいことも伝えました。

これまでは一人での介護でしたが、実家に戻れば娘たちがいる。
介護は、家族でするものとおっしゃっていたIさんですが、Iさんにはお子様はいらっしゃらないそうです。
そして、時には娘さんたちの手を借りながら、夢を持つことですと。
お母様には、その夢が実現しなくても希望にはなるはずで、そのモチベーションが大事ではないかと。


わたしはまだまだ未熟なので、Iさんのように気持ちの切り替えがすんなりとできるかは疑問。
でも、在宅介護3年半でのあらゆる失敗や後悔は、今後の介護に於いての糧になるのでは。そのように想っています。

在宅に戻したなら、以前の様な愚痴がでることもあるでしょう。もしかしたら、戻した後悔の言葉が出るかもしれない。
でも、この一年間、特養に入れた罪悪感を持ったままで暮らすことがとても辛かった。優しくできなかったことの後悔を持ちながら面会に行っていた。


母を好きではなかった。今でもそれは同じ。

「心のどこかでは、お母様のことが好きなんですよ」

Iさんの言葉をそのまま受け止めることはできないけれど、そして退去の理由は経済的なことだけれど、それでもやり直す機会が訪れたと思いたい。


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89歳の誕生日 プレゼントは「ソープフラワー」

2022.4.24(日)

特別養護老人ホームで暮らす母美代さん。
今日は3ヶ月ぶりの面会でした。


と、その前に。
わたしの頭、ダイジョウブ?の、出来事が。

本来の面会予約は午後2時でした。
それなのに、何を勘違いしていたのか10時だと思い込み、その時間に間に合うように施設へ。

「今日の面会は午後2時からになっていますが」

スタッフさんからの、この一言で思い出しました。そう、午前中は既に予約が入っているので、午後からならOKと言われていたのです。
何をどの様に勘違いしていたのか、恥ずかしく思うと同時に情けなくもなり、出直すことに。

すると、スタッフさんから30分車でお待ち頂けるのであれば、10時30分からの面会をご用意できますと。
有難い言葉ですよね。この言葉を素直に受け取り待つことにしたのですが、この後にわたしと似た状況と思えることが。

10時からの面会のご家族がお見えになっていないとのことで、奥の方で何やらやっていましたが、そのご家族は午後1時30分に変更なさっていたらしかったのです。でも、そのおかげでわたしはそのまま面会できることになったのですけれどね。(美代さんの誕生日パワーかな?)



美代さんとの面会時間はキッチリ15分を守りました。
話の内容は、いつものように「わたしが誰だかわかる?」から。

「まやだな」

オッ、今日は調子がいいみたい。いつもなら妹の名前や叔母の名前が先に出ていたので、少しだけ安心。
わたしの名前がすんなり出たことで、それならと孫であるユカ・サキの名前を出したのですが、これには分からないと。が、少し考えた風にした後に、

「わがるさ、ふたりともオレの子どもだ」

・・・やっぱり・・・

以前にも孫ではなく子どもだと言っていたので、どうやら美代さんの中では完全に子どもになっているようです。
いつものわたしなら美代さんの言葉を否定することはないのですが、今日は娘ではなくて孫だと言い切りました。でも、それでも腑に落ちない様子で、

「孫?・・・そだのが・・・」

☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

「今日は4月24日だけど、何の日かわかる?」


「わがるさ。オレの誕生日だ」

オッ、素晴らしい!憶えていたんだ(*゚▽゚*)
でも、何歳になるのかと訊いてみると、これにはポカ~ン。
年齢は分からないようでしたが、これは前からのこと。
89歳になったと教えたのですが、何故か「ふ~ん」
そんな年にはなっていないとでも言いたかったのかな?
まぁ、それよりも誕生日を憶えていてくれたことが何よりでした。


プレゼントは、花にしました。
水やりは、スタッフさんに面倒をおかけすると思い悩んだのですが、訪れた花屋さんにちょうど良い物が。

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【ソープフラワー】と言うのだそうです。
名前の通り石鹸でできているそうで、水やり不要で枯れることはないと。
そして、ほのかに石鹸の匂いがするとのことで、迷うことなく決めました。
お店の方曰く、

「花に飽きたら捨ててもいいですけど、入れ物(かご)は使えますからね」

「ですよね~」

わたし、苦笑いをしましたヮ(笑)


「89歳、おめでとう。でも、もっともっと長生きしなきゃね」

自分の年齢を理解していないので、長生きをしている自覚が無いようでしたが、プレゼントの花は嬉しかったようで、「有難い」と何度も。

施設スタッフさんに、飾る際にはケースから出してもらうようにお願しました。僅かでも、香りに包まれている方が安らげるかナ・・・との想いで。


PS
帰り際、わたしはバイバイをしたのですが、美代さんは手を振ることもなくそのまま行ってしまいました。
何だか寂しかったですが、施設に慣れたということなのでしょうね。
でも、慣れた施設を退去させることを考えているわたしは、何度目かの鬼・悪魔になっています。


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不完全燃焼だった在宅介護

2022.4.23(土)

不完全燃焼。

昨年の4月に母を特別養護老人ホームに入所させ、やっと自由を満喫できると思っていました。
でも、実際はコロナ禍で外出することもない日々が続き、友達や彼氏もいない状態の一人暮らしでした。

東京や横浜に憧れ、ここに居たらいつでも出かけられる。そんなことを想ったりもしていましたが、コロナ感染を恐れ出かけることもありませんでした。


3月末から3週間ほど実家に帰省していましたが、その間娘たちや孫と過ごす時間を幸せだと感じていました。
離れているから、たまに会うからそう思えるのだと、365日、毎日顔を突き合わせていたら、どうでも良いことにも苛立ったりするのかもしれない、それでも一人ではない喜びがあるのではないかと。


母美代さんは家庭的な人ではなく、家の中のこと・家事をするよりも田んぼや畑で野良仕事をすることを優先していた。そんな母親を観て、自分が親になったら母の様にはならない。世話好きな親になるんだ。などと思ったことや、一緒に居ることに嫌悪感を覚えたこともあった。

親が認知症になるなど、努々思っていなかった。
一日でも早く要介護3になることを望み、3になった途端に特養に入れた。
在宅介護をしていたときは、何故わたしだけがこんな大変なことをしなければならないの・・・などと思うことも有った。
でも、あのまま在宅を続けていたら、確実に手が足が出ていたと思う。
そうならないための、お互いのための特養入所だった。

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コロナは、収束に向かっているのだろうか。
完全に終息するまで、何年かかるのだろう。
経済的なことも含め、古河に居続ける必要はない。
そう、わたしには岩手に家が在る。両親が建てた、古いけれど立派な家が在る。
美代さんも、本当は家に居たかったはず。それなのに、わたしの勝手な都合で見知らぬ土地の特養に入所させられてしまった。

不完全燃焼。
そう、大変だと思っていたが、実の所はまだまだやれていた。
それこそ、もうダメ・・・もう無理・・・。
そうなることを望んでいるような気がする。

実家に戻り、時にむすめ達の手を借りながらの介護。
それもアリの様に思う。

娘たちと、相談してみよう。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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