2021.4.13(火)
俳優の田中邦衛さんが、お亡くなりになられた。
88歳。死因は老衰と。
特養入所が決まった美代さんだが、こちらの施設は看取りは行われていない。
事前説明会で看護師にその理由を訊いてみた。
施設長および副施設長は、看取りまでできる施設にするように働きかけているそうな。
それは、働いてるスタッフも同じ気持ちでいるとのことだが、現状でできない理由があると仰っていた。
「ここは埼玉県の中でも田舎で、看取りをしてくれる医師がいないのです。ここらの医師は年齢的にも若くはなく、意欲というか・・・。系列施設でも、もう少し都会の浦和の方では行っているのですが」
古河市内には看取りをしてもらえる施設がある。
そこにすることも考えたが、待機人数がかなり多く待ち年数が2~3年と。
2~3年・・・待っていたら確実にあたしの手には負えなくなると思った。
□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*
昼食を食べ、眠るように逝ったようです。
知り合いのお母様は、同じ様に特養入所なさっていたが、スタッフが傍を離れた後に、気付いた時には椅子に座りながら息を引き取っていたそうな。
92歳と言っていたかな・・・大往生だと想うと、知り合いは納得していた。
看取りができたら、これで済むのだろうね。
でも、美代さんの場合は何かがあれば救急搬送になる。
救急車の中で心臓マッサージや、挿管になることもあると看護師は話していた。日本の救急隊員には、ここまではしなければならないという、国の定めがあるそうな。
心肺停止で、眠るように逝ったのであれば、敢えて心マや挿管などはしないで欲しいと思うのは、あたしだけではなく、気に入らない妹(苦笑)のソノコも同じ想いだった。
そう、もし自分が同じ状況となったら、何もせずにそのまま逝かせてほしいと。

昔、とても若かった頃。
夫の父親が、最後は管だらけで息を引き取った。
その様子を観ていたあたしは、ここまでしなくても・・・と思ったものだが、義理の姉は、なんとしてでも生かして欲しいと言っていた。
義父は63歳。
確かにこの年齢では、義姉の気持ちになるのかもしれないが、あたしにはベッドの義父が苦しんでいるよにしか見えなかった。
父親の年齢に追いつくこともなく、53歳で逝ってしまった夫。
管は、一切なかった。
美代さんは内蔵関係に支障はない。
食欲に関しては、ここの所少しだけ衰退しているように想うが、それでも食べたくないとは言わない。
昨日も、ソノコとの電話で「ご飯が美味しくてよ。お替りしてる」と、言っていた。
お替りはしていないけれどね(苦笑)
もうすぐ88歳になる。
100歳まで生きると太鼓判を押されているが、願わくば知り合いのお母様の様に、美味しいご飯を食べた後に、眠るように逝ってほしいものだ。
でも、救急車の中では、心マが行われるのだろうね。

PS
デイサから頂いたお菓子を食べていた美代さん。
そのお菓子をどこから貰ったの?と、訊いてみた。
「ヤマコザワの小学校がらよ」
「・・・あぁ、そうなんだ。美代さん、何年生なの?」
「ろぐねんせいだ」(六年生)
そして、あたしは妹のミッコさんになり、4年生になっていた。
美代さんとミッコさんは2歳違い。
年齢差を理解しながらも、心は小学生になっていた。
俳優の田中邦衛さんが、お亡くなりになられた。
88歳。死因は老衰と。
特養入所が決まった美代さんだが、こちらの施設は看取りは行われていない。
事前説明会で看護師にその理由を訊いてみた。
施設長および副施設長は、看取りまでできる施設にするように働きかけているそうな。
それは、働いてるスタッフも同じ気持ちでいるとのことだが、現状でできない理由があると仰っていた。
「ここは埼玉県の中でも田舎で、看取りをしてくれる医師がいないのです。ここらの医師は年齢的にも若くはなく、意欲というか・・・。系列施設でも、もう少し都会の浦和の方では行っているのですが」
古河市内には看取りをしてもらえる施設がある。
そこにすることも考えたが、待機人数がかなり多く待ち年数が2~3年と。
2~3年・・・待っていたら確実にあたしの手には負えなくなると思った。
□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*
昼食を食べ、眠るように逝ったようです。
知り合いのお母様は、同じ様に特養入所なさっていたが、スタッフが傍を離れた後に、気付いた時には椅子に座りながら息を引き取っていたそうな。
92歳と言っていたかな・・・大往生だと想うと、知り合いは納得していた。
看取りができたら、これで済むのだろうね。
でも、美代さんの場合は何かがあれば救急搬送になる。
救急車の中で心臓マッサージや、挿管になることもあると看護師は話していた。日本の救急隊員には、ここまではしなければならないという、国の定めがあるそうな。
心肺停止で、眠るように逝ったのであれば、敢えて心マや挿管などはしないで欲しいと思うのは、あたしだけではなく、気に入らない妹(苦笑)のソノコも同じ想いだった。
そう、もし自分が同じ状況となったら、何もせずにそのまま逝かせてほしいと。

昔、とても若かった頃。
夫の父親が、最後は管だらけで息を引き取った。
その様子を観ていたあたしは、ここまでしなくても・・・と思ったものだが、義理の姉は、なんとしてでも生かして欲しいと言っていた。
義父は63歳。
確かにこの年齢では、義姉の気持ちになるのかもしれないが、あたしにはベッドの義父が苦しんでいるよにしか見えなかった。
父親の年齢に追いつくこともなく、53歳で逝ってしまった夫。
管は、一切なかった。
美代さんは内蔵関係に支障はない。
食欲に関しては、ここの所少しだけ衰退しているように想うが、それでも食べたくないとは言わない。
昨日も、ソノコとの電話で「ご飯が美味しくてよ。お替りしてる」と、言っていた。
お替りはしていないけれどね(苦笑)
もうすぐ88歳になる。
100歳まで生きると太鼓判を押されているが、願わくば知り合いのお母様の様に、美味しいご飯を食べた後に、眠るように逝ってほしいものだ。
でも、救急車の中では、心マが行われるのだろうね。

PS
デイサから頂いたお菓子を食べていた美代さん。
そのお菓子をどこから貰ったの?と、訊いてみた。
「ヤマコザワの小学校がらよ」
「・・・あぁ、そうなんだ。美代さん、何年生なの?」
「ろぐねんせいだ」(六年生)
そして、あたしは妹のミッコさんになり、4年生になっていた。
美代さんとミッコさんは2歳違い。
年齢差を理解しながらも、心は小学生になっていた。