にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん17歳、青(せい)くん14歳」「あたし。お洒落大好き還暦」「母。87歳、方言と訛り×認知症要介護1」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

食べ物の好き嫌いは、克服できるの?

食べ物の好き嫌い。

あたしにもある。
どうしても、これだけはダメ!
と、いうのが肉の脂身。
そして、鶏のから揚げ。
でも、脂身は、塊でなければ食べられる。
唐揚げは、鳥臭さがなければ食べられる。

あたしが作る唐揚げには、沢山の調味料が入る。
(料理酒・醤油・ニンニク・ショウガ・塩・コショウ・キムチの汁
だしの素・ラー油・ごま油)
これらを染み込ませるために、1~2時間冷蔵庫で寝かす。
全て、鳥臭さを取るため。

もう一つ、どうしてもダメなもの。
それは、牡蠣。
元々は好きだった。
生牡蠣も好きで、酢の物などにして食べていたが、
もう・・・20年近く前になるか。
家族皆で牡蠣を入れた鍋を食べた。
で、大当たりした。
あたし、だけ!が、当たったのだ。
あれ以来、牡蠣は食べられなくなった。

生でなければ、カキフライなら・・・と、思うも、
あの時の辛さを思い出すと、どうしても食べられない。

苦手な野菜もあった。
子どもか!と、言われそうだが、人参が苦手だった。
あの、独特の青臭さ・・・というか・・・
とにかくダメで、カレーに入れる際は千切りやみじん切りにしていた。

でも、人参は克服できた。
いつから・・・夫が亡くなってからだ。

夫は、食べ物に好き嫌いはなかった。
見事に、何でも食べてくれた。
たまに、味付けや調理法に文句を言われることもあったが、
嫌いで食べない!ということはなかった。

夫が亡くなり、限りある人生を知り自分の食生活を見直してみた。
そして、好き嫌いをなくすと決めた。

亡き父も、好き嫌いが無かった。
糖尿病の気があり、カロリーを考えながらの食事ではあったが、何でも食べてくれていた。

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美代さんとの暮らしとなり、食生活はとにかく面倒くさい。
今日は食べられたが、明日にはどうなるか判らないと言われる。
例えば、キャベツの酢漬けは食べられるのに、キャベツの炒め物は硬いと言われる。
あたしはこの人のお抱え料理番か・・・。
食材は、入歯で噛む力が弱く、好き嫌いが多いため、食べられる物だけを選んでしまう。

高齢者向けの宅配サービスがあるらしい。
ケアマネさんに相談してみようか・・・。

いつかの記憶は、昨日の記憶・・・?

「オレがら取り上げるのが?!」

美代さんの化粧品の一つに、日焼け止め兼薄くファンデーションがつくタイプの、BBクリームがあった。
デイケ・デイサへ通うようになり、入浴中に取れてしまうことと、朝の慌ただしさから、塗ることをやめてしまった。
それでも、日焼けすることを嫌がり、2年くらい前からだっただろうか。
ならばと使い始めたのが、日焼け止めジェル

暫くはそのジェルを毎朝塗っていた。
もちろん、デイへ行く日の朝もだ。
そして、利用者さんの中には入浴後にお化粧しを直している方も居るということで、自分もつけると言い出し持って行く日もあった。
が、せっかく持って行っても、つけずに過ごしたとも言っていた。
なぜなら、時間に追われての入浴と着替えで、顔に塗っている時間などなかったと。

この借家に越してきてからの美代さんの認知度は一気に進行したように感じている。
2年間使っていたジェルを観て「これは何だ?」と、訊いて来たり「どの様に使うのか」とも訊かれた。
ずっと使って居たことと、使い方を教えても「憶えていない」と言われていたが、最近また使い始めるようになった。
そして今朝、

「一緒に風呂さ入るおばさ、風呂上りに綺麗に化粧してる。オレもこれ持ってぐ」(おばあさん)

そう言い、バッグの中に入れていた。
あたしは思い出した。
以前にも何度か持って行き、結局は使わずじまいだったことを。

「あなた、持って行っても使わないんだから要らないでしょ!」

バッグから出してしまった。
そして言われた言葉が、冒頭の「取り上げるのか?」だ。
この言葉に、あたしは「ハッ」とした。

・・・まずい・・・

この後「わかった、持って行っていいよ」と、バッグの中に入れてやった。
それを観ていた美代さんの顔は、一瞬で微笑みに変わった。

認知症患者は、怒られた理由は忘れても怒られた記憶だけが残る。
専門書には、このように記されている。

一緒に入るおばあさん・・・自分だって結構なおばあさんではないか!
棚上げしているように想う。
それに、そのおばあさんのことって、もしかしたら以前に話していたおばあさんのことじゃないの?
「ふと」思い出したんじゃないの?
とは、さすがに言わなかったけれど、最近の美代さんの記憶は時に数分も保たない。
いつかのことを急に思い出したのだろう。

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さて、持って行ったジェルは使ったのだろうか?
帰ったら訊いてみよう・・・いや、それも間違いね。
今日、どこに行ったかも忘れるのだから、デイでのことなど憶えちゃいない。

あたしが思うことは、全てクリアな人の考え。
美代さんには通用しない。
そして、疲れる。

認知症の介護をなさっている方と、生の会話がしてみたい。
あたしの介護は、通用しているのだろうか・・・。


紫が好きという母。死んときに着る服は・・・?

女優・市毛良枝さんの葬儀のCMで「母は紫が好きだった」と言う、フレーズがある。

あたしは母美代さんが、何色が好きなのかを、全く知らない。
丁度CMが流れていたので、訊いてみた。

「ねぇ、あなたは何色が好きなの?」

「オレが?オレは紫が好きだ」

60年、娘をしてきたけれど、初めて紫が好きということを知った。
でも、美代さんの服や持ち物に、紫の物は・・・ない。
いつから好きだったのだろう。
ならば、その紫の何かを死装束にワンポイントにしてみようかと訊いてみたが、判らないという返事。
何が判らないのか・・・死装束という言葉が判らないと言われた。
こういうところが面倒くさいと、思ってしまう。

両親は確か、60代の頃に出羽三山詣でをしている。
その時の装束が、お遍路スタイルだった。
11年前、父が亡くなった時には、そのお遍路装束で旅立たせたと、母から聞いていた。
そして、自分が亡くなったら、そのときは父と同じ姿で旅立たせてほしい・・・そんなことも言っていた。

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あたしは父の納棺に立ち会うことはできなかった。
父と会えたのは、既に棺の中に綺麗におさまった状態であった。
でも、美代さんは言う。

「オメが着せでくれだんでねのが?」

お遍路スタイルのことは勿論、出羽三山詣でのことも憶えていない。
そして、父に何を着せていたかも、全く憶えていないと言われた。
これ以上は何を言っても無理。
ならば、棺に入るときに何を着たいのかと訊いてみたが、

「オレはふぐのごどは何も知らね。持ってるふぐ着せでけろ」

美代さんらしい返事だ。
お洒落には全く興味がなく、服は着られれば良いという考え方の持ち主。
訊いたあたしが間違っていた・・・と、言うしかない。

お遍路着、実家のどこかには仕舞ってあるはず。
お盆帰省時に、探してみよう。
そして、亡くなったときには、好きと言っている紫色の何かを添えよう。


この内容は「鬼娘の介護日記」の「死装束」を参考にさせて頂きました。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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