にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん15歳、青(せい)くん13歳」「あたし。お洒落大好きアラ還暦」「母。85歳、方言と訛り×軽度認知症」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

男性の丸首シャツから思う(想う)こと

男性用のアンダーシャツ。いろいろあります。

夫と結婚するまでは、周りの男性のアンダーシャツについてを気にしたことは一度もなかった。
父は夏はランニング(最近はタンクトップと言うそうな)か、半袖U首シャツを着ていた。それが普通と思っていた。

夫は、知り合った当初から丸首シャツを着ていた。
当時は営業職で、Yシャツ・ネクタイ・スリーピース。身長180センチのスレンダーな体型で、とてもお洒落に感じた。
高校卒業したての18歳のあたし。就職は地元の土建会社の事務。周りの男性は作業服・ツナギ姿。男性のファッション等気にも留めなかったが、ダンプの営業に来ていた夫を観て、

・・・うわー、カッコイイ!オシャレー・・・

ふと首元を観ると、Yシャツからアンダーシャツがチラッと見える。

・・・へぇー、こういう着こなしがあるんだ・・・

一目惚れ(チョット照れます)

交際中のときから彼は、Yシャツ・ポロシャツ・カジュアルシャツ、何れのときもアンダーシャツは丸首。
このスタイルは、亡くなるときまで変わらなかった。


スポンサーリンク



丸首シャツで思い出すのが、お亡くなりになられた俳優『渡瀬恒彦さん』
TV朝日で放映されていた、「警視庁9係」で係長役でのご出演中、渡瀬さんのYシャツ首元からはいつも丸首シャツが見えていた。
共演されていたVシックスの井ノ原快彦さんが、

「渡瀬さんは、シナリオについて色々な提案やアドバイスをされていた。若い自分にも提案するようにとアドバイスを頂き採用されたことがあった。貴重な経験の場を頂いた」
と、渡瀬さんが亡くなられたときのコメントにあった。
(渡瀬さんの提案は的確で、スタッフからの反感はなかったそうな)

丸首シャツを着用することが、初めからシナリオにあったのか、それとも渡瀬さんの提案だったのかあたしには解かりかねるが、
毎回「オシャレだなぁ」との想いで観ていた。
ファッション界では、ビジネスシャツの下に丸首シャツを着ることがどのように捉えられているのかは判らないが、あたしには「粋」に観えていた。

個人的に渡瀬恒彦さんが好きでしたので。お亡くなりになられたのがとても残念です。


DSC_0644


映りがあまりよくないのですが白いシャツがチラッと見えます。
このときのファッションは、グリーンの長袖ポロに薄グレーのチノパン。靴は茶系の記憶です。もう、30年近く前の旧い写真です。
・・・若かった・・・

因みに夫がシャツを着ていたのは、汗対策。
素肌に直で着るのは、汗ジミやにじんだ汗でシャツが素肌につくのを抑えるため。
丸首は・・・何のためだったのか・・・?
まぁ、気にしません。あたしも夫の着方が好きでしたから。


お若い方々は、丸首アンダーシャツをどの様に捉えていらっしゃるのでしょうね。


スポンサーリンク

ズボン下と室内履き。身体は慣れる。

関東暮らし18年。

あたしは、岩手は郡部出身の正真正銘の田舎者。
小学校高学年頃までズボン下を履いていた。中学生となり少し大人びた考えで、ズボン下が「ダサい」と思うようになり、以後今現在まで一度も履いたことがない。

ズボンの下に履くから「ズボン下」

工場勤めの頃、同僚たちはズボンの下に、タイツやスパッツを履いていた。あたしの娘ほどの子達もだ。

「〇〇さん、タイツ履かないの?東北生まれだから寒さに強いのかもね」

「・・・履かないのは、慣れです」

特別に暑がりではないし、どちらかと言えば寒がり。いくら東北生まれ東北育ちでも寒いものは寒い。
ズボン下を履かないのは「慣れ」だと思う。

同じように靴下を履かないのも慣れ。
長女を生んだとき保健婦さんから、年中を通してなるべく裸足で過ごさせるようにと指導を受けた。
足の下を鍛えることがとても身体に善いと。
それでも、真冬はさすがにかわいそうと思い靴下を履かせたのだが、気が付けだいつも脱いでいた。
面白いのは、1歳チョイの頃だったと思うが、座っている状態で一生懸命に靴下を引っ張る。その勢いでコテンとひっくり返り、泣くこともなく脱げた靴下を手に取り満面の得意顔。

彼女を預けた保育園は、裸足の生活を推奨した園で特別な理由がない限り常に裸足。
お昼寝前には、保育の一環として裸足で外に出て園庭の先にある小山を一周してくる。
預けた当初は「裸足で土の上?」と思ったものだが、親も子も慣れるものでいつの間にか当たり前に。
長女は、今でも仕事から帰ると裸足。真冬も裸足。流石に観ているこちらの方が冷たく感じる。


スポンサーリンク



母美代さんは若いときからズボン下派。
昔、彼女が40代頃だと記憶しているが、真っ赤なズボン下を履いていたことがあった。その頃の流行だったのだろうか?
この数年は年齢的にも寒さが身に応えるのか厚手の重ね履き。上衣も5~6枚の重ね着。もこもこ「its だるまさん」
昨年からここでの生活、岩手に比べたら格段に暖かい。ズボン下からスパッツに変え、上衣も3枚止まり。
それでも元来の寒がり冷え性のようで、真夏にエアコンの効いた部屋で毛糸のソックスを履く始末。
エアコンは嫌いだ、要らないと言ってたけど・・・。

先日、室内履きを買ってあげた。思いの外気に入っているようで、

「これがあればコタツいらねぇ」

・・・ホントかい?・・・


DSC_0590



そう言えば、昨年コタツを出したのはいつだった?
でも、コタツ要らないと言ってるしもう少し様子観。

人は慣れると思う。
あたしは年中通して上衣は2枚。
夏、キャミソール・Tシャツorブラウス。
冬、ヒートテック・セーターorカーディガン。

どうしても寒いときは、綿入れ袢纏(昔から)

母美代さん、年末帰省時は岩手の服装。重ね着重ね履き。

「郷に入っては郷に従う」のようです。


スポンサーリンク

100均で購入「ミニリース」

クリスマスはまだもう少し先ですが、
100均でミニリースをみつけました。

昔話です。
子供の頃。そう、小学校4~5年生の頃からでしょうか、クリスマス間近になるとツリーを飾るようになりました。
毎年、父が大きなもみの木を用意してくれ、妹と3人で飾り付けをしていました。
電飾を巻き付け、ふわふわの白綿を雪に見立て、ボール・ベル・杖・ひいらぎ・🎅サンタクロース・星などを、ツリーのてっぺんにはひと際大きな星を飾りつけ。
楽しかったですねぇ。

クリスマスが終わるともみの木は庭に埋められ、本物の雪で覆われていました。
生もみの木はその後3年くらい続いたでしょうか。どこから用意されたのかは未だに謎なのですが、イベントごとが大好きな父でしたから、とても感謝しています。

中学から高校生になる頃には市販のプラスチックもみの木になり、毎年使いまわしでしたが、それでも飾り付けはワクワクしていました。もちろん父も一緒の飾り付け。

母は・・・このシーンにはいません。母は美的感覚がなく飾り付けなどできる人ではありませんでしたし、面倒なことが嫌いだったのです。


DSC_0619




今はもうツリーを飾ることはなくなりましたが、100均購入のミニリースを玄関脇に吊るしました。出入りの度に目にすることになります。何となくですが優しい気持ちになります。小さすぎるためか母は気付きませんけど。

もう一つ、部屋の中に。
3年前に長女と横浜へ遊びに行った際、カップヌードルミュージアムで
「どん兵衛暖簾」を購入。
暖簾としてではなく、タペストリー感覚で。


DSC_0622


真ん中にミニリースを吊るしてみました。
変!ですが、ま、気持ちですから・・・笑


みなさまも、そろそろでしょうか。


スポンサーリンク
プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
お問い合わせ
プライバシーポリシー
ギャラリー
  • 性格の不一致。ケアマネさんさんからの提案。
  • 食べることが大好きなのに
  • 食べることが大好きなのに
  • 食べることが大好きなのに
  • 認知症?貧乏性?ズボラな性格?相変わらずの母
  • 男性の丸首シャツから思う(想う)こと
  • ズボン下と室内履き。身体は慣れる。
  • 100均で購入「ミニリース」
  • 100均で購入「ミニリース」